肚 (はら) の人

商社マン人生も、はや27年以上過ぎたわけであるが、
その間、多くの人物に会い、多くの経験をし、多くの失敗・成功も体験してきました。

が、まだ小生は「できそこない」であることを痛感しています。
儲かった、損した、滑った転んだなどに一喜一憂し、小さなことに動揺し、不安になり、あらゆる経済情勢に思いを巡らし、落ち着くところ、いったいどこにあるのかという、はらの据わっていない未熟者です。

やたらと前頭葉ばかり使い、脳ばかり疲弊させ、肚で接する方法にたどり着かない。
従い、心の安定もない。これは文明化した現代人に共通する欠点かも知れないとも思います。

物質文明的価値観では、人間は頭の回転が速く、機転が利き、動作がすばやく行動的であり、先見性があるのが価値ある人間とされて来ました。

小生もそれが現代を生きる術であると思ってきました。
だが「何か違う」。
能率主義、立身出世・物質的繁栄、社会的成功は人間の本質的価値を見落としているのでしょう。
それが、下記にて3~4年ほど書いてきた要諦でもあります。

江戸・明治には、社会的に「本質的人間の価値」を見抜く正気さがあった。
元来、日本人は、頭が良いだけでは「小賢こざかしい」といい、
技術だけ優れているのは「小器用」といい、あまり尊んではいない。
つまり、「頭の人」より、「肚の人」を重んじていました。 

「全ての瞬間、瞬間を、肚で生活する」ことが、人間が人間として「まとも」になる、最高の方法と知っていたのでしょう。

過去の多くの大丈夫、釈迦・一休・白隠・中村天風・澤木興道などの教えに共通するのは、結局は「心の安定」をいかになし得るかの一点に尽きます。
心の安定は、すなわち心の中心を下げることであります。
「頭の人」は、のぼせ上がり重心が高すぎる。
安定しない仕事でも、趣味でも、全てを「肚」に心を置けば、間違いないのではないでしょうか。

仕事も力みすぎては、重心が頭とか肩にあり、硬直し、柔軟性がなくなります。
すなわちこだわる、囚われる。
ゴルフでも欲がある(拘る)と上半身に力が入り、うまくいかない。
腰で打つ・無心でスイングするといい結果が出ます。
ジャズの演奏も、肩に力をいれず、腹式呼吸で自然体で吹くといい音色を出せ、
素敵なメロディが出てきます。

古来から綿々めんめんと伝わる日本の所謂「道」は全て、それを教えています。
書道、茶道、弓道、剣道、柔道、全てが気を丹田に置かないと駄目。
小生は今まで、坐禅、瞑想に「心の安定」を求めてきましたが、先人はそれも「間違いでない」が、それは「静中の工夫」であり、日常生活全て、
すなわち「動中の工夫」がなければならないと教えています。

白隠曰く、「動中の工夫は、静中の工夫に勝ること、百千万倍」。
坐禅だけでなく、日常の動作全てを修行と考えよ、と喝破しました。
近代日本には(明治)、藤田霊斎、岡田虎二郎、肥田春充の3氏が、「動中の工夫」を教えています。

最近の例では「佐賀のがばいばあちゃん」でしょう。あのばあちゃんはまさしく「肚の人」です。
禅をまるで修行したかのような、綺羅星のごとく、すばらしい言葉が並んでいます。
本来無一物、日日是好日と「全く同じ意味」のことを言っています。

小生も丹田修養を心して、生きる指針にしていきたいと思います。

2007年7月30日

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