時間の有限性の認識について

皆さんは「時間」というものに対しどのような認識をされているでしょうか?

時間は人類の誕生以前から存在して、地球の誕生、
さらに言えば宇宙の誕生以来何十億年の「時間」が経過し、この先も人類の滅亡、地球の寿命到来、宇宙の終焉(?)まで膨大な時間が経過するわけです。

時間はその意味では、「人間の想像をはるかに超える」という意味で無限であります。
ここでは、「我々の心の認識においての時間」を述べてみます。

人生は客観的に考えると、80年、
長生きしても100年程度のゴミみたいな時間の中に収まっています。
その80年の間に、人は泣き、笑い、喜び、悲しみ、学び、働き、結婚し、子育てし、財産を蓄え、使い、病気になり、死んでいきますが、
瞬間瞬間、人は時間にたいして「無限」であるという錯覚をしながら生きていっています。

何をいいたいかというと、若い頃は「時間の有限性」などは心の片隅にも存在せず、自分の人生・仕事・夢・生きがいに向かって、「擬似的時間の無限性」の中で、盲目的に突進して暮らしているのが殆どでしょう。

それが裏返せば 若いという証拠です。

時間の無限性は、欲望の無限性と表裏一体で、金銭・事業・出世・名誉等々に対して、制限を感じることなく、日々一生懸命です。

「サラリーを倍にしたい」「社長になりたい」「工場を100個作りたい」「有名になりたい」数え上げたら無限です。
その無限の願望が達成するのに必要な膨大な時間も無限と認識しています。

ところが、人間30歳、40歳、50歳、そして60歳を迎えると、
無限の欲望がいつしか急速にしぼみ、「諦観」とともに有限になっていきます。

それは、私が考えるに、欲望が制御できたのではなく、自分の時間が有限であるとの、認識された瞬間に、欲望が出てこなくなることでかも知れません。

私は現在54歳ですが、独立当初の38歳では、会社の発展のため、生活のため、
○○のため、猛烈に働きました。(多くの欲望・夢とともに)

しかしながら、この随筆を書き始めたころ、2002年~2003年に、
時間の認識が無限50%有限50%に変化し、自分を見つめなおすきっかけとなり、
今では時間の無限認識20%有限80%が、正直な心の中の時間認識です。

皆さんはどうですか?

いつ時間の有限性をお感じになりましたか?

全く感じていない人は極めて若いか、人生に対して考えていないか、
忙すぎて見つめなおす余裕がないか・・・でしょう

これは是非論ではありませんが、時間の有限性の認識は時には必要で、
資源の有限性・自然の有限性などと同様に、破滅への猛進・盲進を防ぐ、
心の作用でもあると思っています。

時間の無限性の意識が永続すると、欲望の限界も認識されぬまま、
歯止めが利かない永遠の盲進にピリオドを打てず、死ぬまで頑張り続けますが、
その「頑張り」が人間社会にては、しばしば間違った方向へと進む場合があります。

有限性の認識はやさしさを育て、人生の尊さを感じられる、
一つのきっかけとなるのではないでしょうか?
命の尊さ、資源・自然の大切さは、有限と分かったからこそ理解できると思っています。

2011年3月10日

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