資本主義と共産主義、自由と平等、性悪説と性善説

現代日本は、資本主義、自由主義の経済政治体制を採用している。

昨今、企業不況から、非正規雇用の方々の解雇が相次ぎ、企業の社会に対する姿勢が問われている。

私は、過去も、資本主義の内在的特質として、「人間の欲」の原理を述べてきた。

資本主義である限り、不況になれば、企業存続のためには雇用調整は「当然」であって、労働者は、最悪、解雇の運命を受忍しなければならない立場に置かれているのが、資本主義であると申し上げてきた。

資本主義は、企業活動、職業選択、幸福の追求等々の、あらゆる自由が前提である。

富の追求、物質的幸福の追求は、人間の飽くなき欲求動機を利用している。
労働者・被搾取農民は、過去、その理不尽さに我慢できず、マルクス理論を思想的よりどころにして、共産主義革命を起こし、自由を捨て、人間の平等に最大の価値を置いた。
結果失敗した。

原因は簡単である。

人間は、欲を捨てられない動物であるからである。
共産主義が成功するためには、人間が欲を捨て、他人への奉仕・愛で活動する、
「完全者」になりきらなければならない。

それが不可能であることは、ソ連で証明し、中国共産主義も集団経済を捨て、
私有企業・私有財産を認めて、人間の活動の源泉は、「欲」を利用しなければ成り立たないと、結論したからである。

資本主義も不完全である。

チャーチル英国首相は、「民主主義は最悪のシステムであるが、それに勝るシステムはない」、と言ったが、

それは、日経新聞1月6日朝刊に、東大教授も上島と同じ問題意識を論じて、
掲載した論文に引用されているが、全く私と同じ考えである。

「資本主義も最悪のシステムだが、人間が人間である以上、非完全動物の行動原理を利用する、資本主義に勝るシステムはない」と言いたい。

近代資本主義における労働者は、道具であるのが「資本主義」であるが、

では、労働者は、本当に「道具」か。産業革命時代のイギリスは、確かに道具であった。

チャップリンの批判は、英米に於いての、身分の固定化、貴族・上流階級の、
イギリスでは当然のこととして、労働者は永遠に労働者で、資本家は永遠に資本家、という図式であった。

しかしながら、現代日本では、労働者は恒久的な道具ではない。
本人が道具に甘んじていれば、道具にされるだけであるが、資本の論理が、
欧米に比較して弱い日本では、「大家族主義」「終身雇用」「従業員株主制度」等で、資本と労働の一体化が図られてきた。

大多数のサラリーマンは、会社に「道具」として入るが、そのうちの1割は、
ある時点で経営者に変化する。

資本と経営の分離、資本の軽視は、ある意味、労働者と経営資本の対立を緩和している「折衷案」、としての理想形かもしれない。

その意味で、かつての日本経済システムは、「資本主義の理想」とか、
「自由主義的共産主義経済体制」と呼ばれてきた。

しかしながら、その体制に於いても、労働者を救済する手段は、企業自身には存在せず、社会主義的政府行為しか不可能である。

その方法は、徴税による「富の再分配」であるが、それにも限界がある。

政府は、人民の税によって、公共財(外交・防衛・教育・インフラ)を運営するのであるが、貧困への救済は、減税(無税)以上の手段としては、
「生活保護法」による給付金、年金しか出来ないのである。
生活保護法は、人道的見地から制定された法律であるが、誤解を承知で述べれば、貧者を多数派にしないための、資本主義の矛盾の緩衝材ともいえる。

もともと、政府自身が富を生むことはないので、富を人民に与えることは本来不可能である。

言い換えれば、マイナスの税金制度は、論理的に無理である。
もし、富の再分配を、そこまで行えば、それは資本主義を放棄し、
強制的「平等主義」である、共産主義になったも同じだからである。

無理やり、富の再分配を行う方法はあるが、それは「赤字国債」である。
それで貧困を救済することも可能であるが、現実は、建設業者の富を、
さらに、潤すだけの結果に終わっているのが歴史であり、800兆円の政府の借金である。

それを貧者に、一時的に廻す仕組みには、政治体制としてなっていない。
自民党も民主党もそれをやっては、政権を取れないからである。
貧者(失業者)は政治力もないし、幸いかな、まだ少数派であるからである。
もし貧者が多数派になったときは、上記の共産主義革命が起きる。
公明党が提案した定額給付金は、税金を全く支払っていない低所得者に対しては、言わばマイナスの税金制度であるが、一人¥12,000程度であれば、それは生活保護にも劣るので、効果は無意味といえる。
斯様に、資本主義の矛盾は、しばしば不況時には露呈する。

不況は結局、富裕層にも、大きな影響を与えることは、富裕層自身も認識しているのであるが、自らの財産への欲求・保身への切望を捨てられることも、また不可能であるので、恐慌が起きるのである。

失業者の氾濫は、犯罪の増加、社会不安、社会意識の荒廃をもたらす。
2009年は、世界の資本主義の社会主義化(富の強制的再分配)が必然であろう。

2009年1月5日、2009年1月7日加筆

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