大人とは何か

大人と子供の違いを考えてみました。

人間は脳幹という古代から感情・生理をつかさどる部分に加え、
大脳皮質・前頭前野という「人間らしい理性」を持つ部分が発達してきました。

人間誰しも感情があり、理性があるはずです。
どちらが多くでるかで、大人(人格者)か、子供(感情のまま行動する未熟者)に分かれます。

「あたりまえじゃないか~~」と仰られると思いますが、冷静に社会を俯瞰ふかんすると、大人は5%以下しか、世界中にいないのでないでしょうか?
全世界、ほとんどの人間が子供でしょう。

ここでいう子供とは、
(1)感情で物事の優先順位を決める。好きなものはやるが、嫌いなものはやらない。
(2)行動原理が、欲情と感情であるため、抑えが利かず、頭で分かっていても、行動が伴わない。
社会的価値が分からない。貪欲が理性を完全に抑え込む。
(3)先見性がない。こう行動すれば、このような結果になるであろうという事前思考が働かない。
等々でしょうか。

大人とは、
(A)理性が働き、社会的重要性が認識できる。
行動・発言は社会的重要性の優先順位から行うことができる。
(B)社会的重要なものに対しては、たとえ自分が嫌いなことでも率先して行動できる。
(C)自分が好きなことを諦めてでも、社会的義務を果たせる等々です。

地震が担当地区で発生し、危機管理が必要なとき、たまたまゴルフに興じていた市長が、「とりあえずゴルフとその後のマージャンが終わってから市役所に行こう」と思考した場合は、
それは子供の(1)ですから、全く大人とは言えません。

「選挙に立候補したのは、社会を良くするという動機」であったが、実際は公共工事の汚職による、金銭への欲求に負けて、不正を繰り返す県知事、なども子供思考の(2)でしょう。
本当に大人が少ない社会になってしまいました。

金融危機も子供思考の(2)が優先された結果、自分の給料の拡大が全てで、
それによる社会への悪影響などは完全に無視され、理性がない子供思考です。

使命感・責任感あふれる産婦人科の医師などは、「大人の中の大人」でしょう。
自分がゴルフに興じていても、携帯に電話で「出産準備お願いします」と来れば、子供の感情価値であるゴルフより、社会的価値である出産を優先し、
ゴルフを諦め、病院に駆けつける崇高な医師もたくさんいます。
ときには、人間の究極の欲である睡眠欲を捨ててでも、社会的価値を優先し、
倒れるような医師もいます。

そのような医師は大人すぎるので、今度は社会全体で救済しなければなりません。
でなければ、益々大人が減っていきます。

商社マンでも、常に大人でなければならないと思っています。

人間は常に、感情と理性が対立していますが、何が社会的に重要かが見極められないような人間は、墓に入るまで子供であると思います。

理性を育て、人の気持ちが分かるような人間になりたいと思っています。

2009年5月7日

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