林棲期(りんせいき) に思う

仏教では、生きることは苦である・・と教えます。

俗世間を見渡しても、某国の独裁者、政治的軋轢あつれきが絶えない世の中、
はたまた、個々人でも生きることに疲れた人たち、絶望の淵にあえぐ人々、
法を犯し人生を棒に振る若者、或いは大金持ちになり富と名誉を手に入れても尚、幸福感を味わえずに悶々と日々暮らしている人・・

皆生きることが苦しそうです。なぜ苦しいのでしょうか??

やはり陳腐な言い方ですが、自我・・すなわち
「自分の人生を自分のためだけに生きている」からではないでしょうか。

それでは苦しみからの解放は「その逆」の生き方をすれば良いのではないか・・
言い換えれば、「人生を他人の為に生きることができるとそれは、自分の喜び」になるのでしょう。

仏教ではその処方箋としては、「自我からの解放」により、
「苦」からの解脱が唯一の方法であると示します。

己を捨てよ、こだわりを解き放て!!
そしてその方向は厳しい自己鍛錬に向かいます。

従い、悟りへの道は険しく果てしない道となります。

しかし、もっと分かりやすく優しく俗世間的な方法も提示しています。

すなわち、自利利他の精神や、喜捨、慈しみの心、
つまり、「他人のために生きる」ことでの自我・没我です。

我々凡夫には、苦からの解放は他人のために生きる・・・処方箋が分かりやすくて良いでしょう。

若い時に、好き放題自分勝手に振る舞って、
自分の人生をいい加減に(ハチャメチャに)生きてきた人間も、
親になったことにより人間的に成長できるのは、子供と言う。 自分以外の人のために生きるという方向転換ができたからでしょう。

また、商売の達人である諸先輩は、等しく「お客様本位」や「世間に貢献できる」経営を示唆し、人間として経営者としての生きる道を示してます。

さらには、大金持ちとなり、個人としての人生の目的を物理的に120%達成した大事業家たちは、
ほとんど例外なく、慈善事業や寄付や社会福祉にその生きがいを求めます。

それも、自分のために生きてきた人生を、ある意味「反省」し、
真の幸せは、「他人への奉仕」にあると悟った結果でしょう。

僕は還暦を迎え、インド哲学で言う林棲期に入りました。(勝手に宣言しました)
自分のため(社会的責任を全うするのも自分の義務であり、それも自分のためとも言えます)に生きる時期を過ぎ、これからどうやって、人間の完成を目指す生き方をするかを「考える」時期が、林棲期であると思います。

会社経営も自分以外の人たち(社員・お客様)の幸せを考えながら方向を定め、仕事以外の時間も、他人の喜ぶ姿を見る自分を想像しながら生きていく・・・そんな生活が理想。

これからの人生は益々楽しそうです。

2016年9月5日

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